大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)74号 判決

原告

吉忠株式会社

右代表者代表取締役

堀尾正男

右訴訟代理人弁理士

新実健郎

同 同

新実芳太郎

同 弁護士

金沢善一

被告特許庁長官

佐橋滋

右指定代理人

通商産業事務官

小浜武夫

主文

昭和三一年抗告審判第九八五号事件について、特許庁が昭和三三年一〇月三一日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、双方の申立

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は請求棄却の判決を求めた。

第二、請求原因

原告は本訴請求の原因及び被告の主張に対する反論として次の通り述べた。

一、原告は特許庁に対し昭和三〇年九月二〇日別紙記載のような「ロマン」の片仮名文字をゴシツク体で左横書してなる商標について、旧類別(大正一〇年一二月一七日農商務省令第三六号商標法施行規則第一五条所定)第三六類被服、手巾、釦紐及び装身用ピンの類を指定商品として、その登録出願(昭和三〇年商標登録願第二五、五九四号)をしたが、昭和三一年四月一〇日拒絶査定を受けたので、同年五月一二日抗告審判の請求(昭和三一年抗告審判第九八五号)をした。しかし特許庁は昭和三三年一〇月三一日原告の右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をし、右審決書の謄本は同年一一月八日原告に送達された。

二、審決は、原査定の拒絶理由に引用せられた登録第三〇二、三三三号の商標(別紙記載のように、「ロマンス」の片仮名文字を普通の書体で縦書してなる。)と本願商標との類否について、称呼上、本願商標の「ロマン」に対して引用商標の「ロマンス」は、その末尾音の「ス」は語尾音として発声するときは、第三音の「ン」の撥音に吸収され、聴者をして極めて弱音にしか聴取せしめ得ず、「ス」の音を帯有すると否とは、称呼全体から見るときは極めて微差にすぎないから、両者の称呼を明確に区別することは困難であり、また、これを観念の上から見ると、前者の「ロマン」は仏語の「Roman(小説)」と解せられる場合が多く、これは後者の「ロマンス」に該当する英語の「Romance(物語風の小説)」とその観念も相紛れる場合が少くないから、両者は観念上も共通する点を有するものであるといわざるを得ないところであるから、本願商標と引用の登録商標とは、称呼上及び観念上において取引上誤認混同のおそれが十分あり、且つ指定商品も牴触することが明かであるから、結局本願の商標は旧商標法(大正一〇年法律第九九号)第二条第一項九号に該当し、その登録は拒否を免れないというのである。

三、しかし、右審決は次の理由によつて違法であり、取消を免れない。

(一)  商標の類否判定に関する一般的本質論

(1) そもそも、商標法の類似商標に関する規定は畢竟商標の混同誤認を防ぐことを目的とするものであり、商標の類似とは商標として使用せられた場合に互に相紛らわしいこと、すなわち英米の商標理論におけるように「混同的類似」をいうものであつて、単純に「似ている」或いは類語であるというように一般常識上「類似」という語のもつ概念の範疇に属するというだけでは足らないものである。

(2) 従来、商標の類似には、外観類似、称呼類似及び観念類似の三つの態様があり、商標類否判定の要素は、外観、称呼又は観念のいずれか一であり、外観又は称呼が類似し若くは観念が同一であれば類似商標とみなすべきであるとするのが通説である。そして現在までの審決、判決例を見ても、商標類否の判定は、必ず外観、称呼、観念という三つの観点からなされている。

(3) 商標の類否判定において右のように外観、称呼、観念の三つの観点から観察することは、右三点以外に類似の態様が考えられないところから一応合理的な方法ではあるが、外観、称呼、観念の三点に分析観察される場合には、前記の「混同的類似」がどうかの観察態度が失われ、通常概念における「類似」かどうかの観察態度をもつて判断される可能性が大きく、従来の判決例、審決例を見ても、このような観察態度によつたと見られる場合がしばしばある。従来商標の類否判断は、対比観察によるべきでなく離隔観察によるべきであるということが口喧しくいわれているが、「混同的類似」という観点からすれば、後記のように離隔観察によるべきは当然のことであり、離隔観察によるべしというのはそれ自体通常概念における「類似」かどうかの観察態度をもつて商標の類否が判定されてはならないことを前提としていることを示すものであるといえよう。

(4) 次に、一般人にとつて商標として考えない場合に、通常概念上外観、称呼、観念が類似するといわれる場合でも、商標としては取引の実際において、それらにおける類似性が全く問題にならない場合がある。例えば、その商標が使用される商品の取引者及び需要者が全部盲人であるような場合に外観類似を論ずることは無意味なことである。また、聾唖者が対象である場合に称呼類似の問題を取り上げるのも同様に全く無意味なことである。右の設例は極めて極端な場合であるが、このような例に限らずとも、商標には、外観上の印象力の弱いもの、称呼の生じ難いもの、観念の捕え難いもの等があるし、また、商標の使用せられる商品の取引態様上、外観が重視される場合、称呼が重視される場合、或いは観念が重視される場合があり、更に、商標区別に非常に綿密な注意力が働く場合とそうでない場合がある。これらの事情は、すべて「混同的類似」に関係のある因子である。商標の類否を判断するに当つて、外観、称呼、観念に分けてこれを観察すること自体については、一応の合理性の存することを否定するものではないが、常に、外観類似、称呼類似、観念類似を同程度に重視して商標の類否を決定することは、「混同的類似」かどうかの判断を欠くうらみがある。

(5) 英米の商標理論によれば、我国の学説、判例と同様商標類似の態様として、外観、称呼及び観念上の類似があることを認めつつも、実際の商標牴触の問題を論ずるに当つては、通常購買者の注意力、商品の性格、消費者の習慣、知能程度等を重視すべきであると説き、右外観、称呼、観念に拘泥せずして判断した判例が多く見られる。我国の判例を見ても、「商標の類否はその対象となる商品の取引の実情を離れて、単にその商標の外部のみから生じ得べき称呼や観念を比較して判断するのではなく、その商品が商品として具有する特質に関連し取扱業者や需要者がその商品の同一性を認識する指標として取引上いかに発音され観念されているかを考慮して判断すべきである」とした東京高裁昭和三二年(行ナ)第六三号、昭和三三年一〇月七日判決は、ある意味において前記の「混同的類似」かどうかを判断すべきことを指摘したものに外ならないと考える。

(6) 以上はこれを要するに、商標の類否は通常概念における「類似」かどうかによるのではなく、「混同的類似」かどうかによつて判断すべきことを主張するものであり、本願商標がこの観点に立つて如何に見られるべきであるかの点は後に述べる。

(二)  右(一)に関係した本件審決の違法性

(1) 審決が本願商標と引用の登録商標とが類似するとしたその理由は、称呼及び観念のいずれからしたものも、前記のいわゆる通常概念における「類似」の観点からしたものにすぎず、また、称呼上の類似と観念上の類似とを等価値として判断したものであり、そこには前記の意味における「混同的類似」のことが顧慮せられた形跡は全然これを認めることができない。

(2) 更に被告は本訴で「商標の類否判断すなわち称呼、外観、観念が類似するか否かは当該商標のみにつきこれを判断すれば足り、それらの指定商品によつてその商標の称呼、外観、観念が生じて来るものでもなく、またその類似性が左右されるものでもない」と主張しているが、商標が使用される商品によつて商標の類似性が影響を受けることは前記の通りであり、被告のかような主張は、商標の類否の判断に当つて前記の意味における「混同的類似」か否かの観察態度を拒否するものである。

(3) 通常概念において「類似」であることは「混同的類似」であるについての必要条件であるが、十分条件ではない。従つて、二商標が非類似であることを理由ずけるためには、通常概念において「非類似」であることを論ずれば足りるが、類似であることを理由ずけるためには、通常概念において「類似」であるだけでは足りず、更に「混同的類似」である理由を明らかにしなければならない。

(4) 然るに、これに反して本件審決のように「混同的類似」であるかどうかの判断をしないのは理由の不備であり、且つこれを判断する態度を拒否することは、結局旧商標法第二条第一項九号の規定の解釈を誤つたものであり、「混同的類似」であるかどうかについて判断をした場合の結果を論ずるまでもなく、本件審決は理由不備ないしは右法条の解釈を誤つた違法があるものとして取消を免れない。

(三)  外観、称呼、観念の三つの観点に分けてする本願商標と引用商標との非類似性

外観上の非類似性については争いのないところであるから、称呼及び観念上の非類似性についてのみ述べる。

A 称呼上の非類似性

(1) まず、称呼上において商標の類否を判定するには、当該商標称呼の構成音と共に、アクセント部位が最も重要な要素となることを看過してはならない。本件において、称呼構成音を分解して観察すれば、本願商標(前者)の称呼が「ロ」「マ」「ン」の三音から構成されれいるのに対し、引用登録商標(後者)の称呼は「ロ」「マ」「ン」「ス」の四音からなり、両者は語尾における「ス」音の有無に相違があるのみであると一応いうことができるにしても、アクセント部位が全く相違し、現実的な称呼の上においては顕著な相違がある。即ち、前者では冒頭の「ロ」音に強いアクセントを与えて呼称するのに対し、後者では第二音の「マ」音に強いアクセントを与えて呼称するを通常とする。これは、片仮名文字よりなる単語、古来からの日本語中に直接該当するものが見当らないときには、英語式に読まれて理解されるのを通常とする経験則に従うとき、前者が第一母音にアクセントのある英語の「ROMAN」に該当し、後者が第二母音にアクセントのるあ英語の「ROMANCE」に該当するからである。そしてまたこれは、英語としての正規の発音ということを問題としなくても、現実の自然称呼においては、「ロマン」は冒頭の「ロ」が強音として発音され、「ロマンス」においては、第二音の「マ」が強音に発音されることは事実であり、これは呼称実験をすれば容易に判ることであつて、現実の問題としても、両者は全く別異の聴感を吾人に与えるものである。この事実は、日本語において三音からなる語は冒頭音を強音にして発声するのを通常とし、特に末尾音が撥音である場合この現象が著しく、また四音からなる語で第三音が撥音である場合には、第二音が強音で発声されるのを通常とするからである。強音に発声される音、弱音に発声される音の混合体として或る語が形成されている場合、その強音部がどこにあるかは、実際の会話の際、聴者において各構成音と共に最も関心を持つものであり、従つて、強音がどこにあるかということ、即ちアクセント部位は商標の称呼上の類否判定の要素として極めて重要である。

(2) 被告は、アクセント部位如何は語学上でこそ重要であろうが、商標上の類否判断に際してはさして重要な資料となるものではないと主張する。しかしアクセントがどの部分にあるかは、言語により意思を伝達するに際して、構成音と共に最も重要な要素となるものであつて、このことは「「橋」と「箸」、「肺」と「灰」、「蜘蛛」と「雲」等二、三の例に見ても明らかである。しかも、このアクセント部位の称呼上の類否に及ぼす影響は、その単語(商標)の構成音(構成文字)が少いほど大きいものである。非常に長い単語では、アクセント部位は殆んど問題とならず、構成音(構成文字)のみが称呼上の類否における唯一的な決定要素となることもあろうが、僅々三ないし四音(字)をもつて構成される単語(商標)にあつては、アクセント部位もまた、称呼上の類否判定の要素として構成音と同程度以上の影響力を持つものである。本願のものは三音の「ロマン」、引用のものは四音の「ロマンス」であつて、この両者と構成が酷似している「フラン」(貨幣単位)と「フランス」(国名)、「プリン」(菓子)と「プリンス」(王子)らが日常生活において称呼上相紛れるおそれが全くないことによつても、本願商標と引用商標との称呼上の非類似性は明らかというべきである。

(3) 審決は本願商標と引用登録商標の称呼上の類否について、「後者における末尾音の「ス」は語尾音として発声するときは、その音は第三音即ち「ン」の撥音に吸収され、聴者をして極めて弱音にしか聴取せしめ得ないものであること経験則に照らし明らかなところである」と説示しているが、これも失当である。右の審決のいうような経験則は全く存在せず、寧ろ逆に、子音で終るべき英単語を日本語として発音する場合に、「ウ」「オ」「イ」等の母音が殆んど必然的に附加せられるのであつて、この現象は「ス」音の発声を完全にし、且つ、その聴取を容易ならしめるものである。これは日本人の発音習癖に関するものであつて、称呼上看過し得ない重大な現象である。そして後者「ロマンス」においては、語尾音の「ス」まで完全に明確に発音せられ、且つ聴取し得られるのであつて、僅々三ないし四音からなる両商標において、語尾の「ス」音が附加するかどうかは、全体としての称呼類否上重大な影響を及ぼすのは当然である。

(4) 被告は本訴で、商品シヤツにつき、その商標「ロマン」シヤツ、「ロマンス」シヤツと使用した場合に、相紛らわしい称呼となると主張するが、本願商標の指定商品において商標の称呼と商品名とを結合させて称呼するということは殆んどないことである。「アロハシヤツ」というように商品名的な色彩の強い場合と、極めて行届いた宣伝によつてそのように称呼するように馴致されている場合には、そのようなことも考えられるが、このようなことは例外に属するもので、通常は、本件の場合を例にとれば、「ロマン」の何々、「ロマンス」の何々というように、商標名を商品名から離して明確に指定するのが自然で普遍的な称呼の仕方である。本願商標についても、引用の登録商標について、商品名を直接連結連続させて称呼しなければならない理由は全くない。更に、例外的に商品名が併せて称呼される場合には、商品名を連続させた言葉自体で一つの商標と認められる場合であつて、そのような場合は、商標登録を受ける場合にも、商品名が付いた状態で出願され登録されていることが多いものである。然るに、本願の商標は「ロマン」の三文字から成り、一方引用の登録商標の方は「ロマンス」の四文字から成るものであつて、「シヤツ」その他の商品名は何ら表わされていないから、「ロマンシヤツ」「ロマンスシヤツ」の称呼を生ずるとすることはできないものであつて、被告の主張は全く理由のないものである。

(5) 次に、本願の指定商品の取引の態様を考えてみると、称呼において「混同的類似」を生ずる可能性は極めて少いものである。即ち、本願商標の指定商品は旧類別第三六類被服、手巾、釦紐及び装身用ピンの類に関するものであつて、服飾、装身に関係のある商品である。服飾、装身に関係のある商品は、需要者の要求に個人差が激しく、例えば、衣服類或いはネクタイ類を取上げてみると、柄、色、デザイン及び寸法が消費者によつてすべて異る。そして、消費者は、食料品、化粧品或いは薬品等の場合と異り、これらの衣服類或いはネクタイ等の商品では、一度買つたと同じ商品は二度と買おうとせず、次には、違つた色、柄、デザインの商品を買うのが普通である。そして、自己の要求に合致するかどうかは、親しく品物を見なければ判らないから、これらの品物を買うに当つては、実際に手に取つてためして、自分の希望するものと合致するかどうかを調べるのが普通である。これらの品物においては、飲食物、化粧品、薬品等のように使用してみなければその品物の善悪の判断ができないものではなく、目で見、手で触つて見れば大体品の善悪は判定できる。そして販売者は、消費者が品物を買う前に目で見、現実に手で触わることを許すし、一方消費者の方でも、そうでなければ購入を承知しない。つまり、これらの商品では、品物を現実に目で見、手で触れてみて、始めてその品物の良否が判断できるのであり、そうすることが許され、更にそうしなければその品物を買うべきがどうかを決定することができないものである。消費者に限らず卸業者、小売業者等の取引者においても、流行に左右されて常に消費者の要求を考慮せねばならず、且つ、品物の良否は現物を見て始めて決定できるものであるから、取引者は、需要者を通じてこれらの商品は現物を実際に視覚、触覚によつてためして後始めて取引が成立するものである。この事実は、前記の衣服、ネクタイ類の商品に限らず、下着、足袋、靴下等その他の被服類及び手巾並びに釦紐や装身用ピン類の商品にも一般法則として通用するところである。

本願商標の指定商品は右のような態様で取引され、現物を見ないで商標名と商品名のみを指定して取引されることは殆んどなく、被告のいうような電話、口頭のみによる取引は全く考えられない。また、現物を見て取引するものであるから、わざわざ口頭で商標を指定しなくても、その商品についている商標が何であるかは容易に認識することができるものである。本願商標はその指定商品の目のつき易い場所につけられ、且つ、商品によつて商標がつけられる場所は一定しているから、消費者は容易にその商標を発見できる。非常に少ないであろうが、商標名を口頭で指定する場合でも、取引に際しては、現物を必ず目で見、手で触れてためすものであるから、品物を調べている間に、自然その商標が自己の指定したものと同一かどうかも確認できるし、且つ、商標を口頭で指定する位の客ならそうすることは間違いない。

以上のように本願商標の指定商品は、親しく目で観察して認識されるものであるから、商標としても、外観上の類似性が重要となり、観念的に考えた場合、称呼上或る程度の共通性があつても、外観が非類似である限り混同を生ずる危険性は少い。即ち、本願商標の指定商品のような場合には、称呼上の多少の類似性は外観或いは観念上の顕著な非類似性がある限り、これによつて阻却され、商標全体としては非類似と認められることが多いものである。観点を変えてこれをいえば、本件のような場合にあつては、称呼上の類似性はさほど重要なものではないのである。

(6) 結局、本願商標と引用の登録商標との間にあつては、その称呼の点において十分にこれを区別することができるものであるとともに、仮りに多少の類似性があるものとしても、指定商品との関係上、この称呼上の類似性はさほど重要なものではないのであり、審決のように両者をもつて称呼類似の商標とすることはできないものというべきである。

B 観念上の非類似性

(1) 被告が本願の商標を引用の登録商標と観念上類似するものと主張する根拠は、乙第一号の仏和辞典の記載、乙第二号証の英和辞典の記載及び甲第三号証の七中の記載のみである。

(2) そもそも、観念類似(観念が同一であること)を論ずるに当つては、商取引上その語の特別の意味ではなく、通常の意味に法的な注意を払うべきであつて、辞書は記憶や理解を助けるものではあつても、裁判上通常の意味を決定する資料とはなり得ないものである。この意味において、本件両商標の観念上の類似を証する資料はないのであり、甲第三五号証の七中の記載も、単に辞書の記載を援用して記述したものにすぎない程度に観念的なものであつて、取引の実際上の観念において類似することの資料とはなり得ないものである。

(3) 被告は本願商標の「ロマン」は仏語では「小説」の意に観念せられ、引用商標「ロマンス」は英語で「小説」の意に観念せられるからとして観念類似を考えようとしているが、通常の需要者に対して、商標の類似及び商標の観念を認識するがために、英語及び仏語の両外国語の知識を要求することは不当である。これは取引者、需要者の一般平均人の知識程度に従つて判断しなければならないからであるとともに、果して取引の実際上取引者、需要者がそのような観念上の共通性ということで、それらの両商標の商品の出所を同一視するかどうか、即ち、前記のいわゆる「混同的類似」であるかどうかを考えなければならないからである。実際の取引において、取引者、需要者において、商標として採択された語の持つ意味に全く関心がないような場合に観念類似を論ずることはできない。「ロマン」と「ロマンス」の意味など殆んど考えていない人(例えば、本件における証人坂口庄三のような人)で、商標の持つ観念について関心のない人間にとつては、元来観念類似ということは、心理学上顕著な研究問題である「失語症患者」に「範疇的態度(かたはめの態度)」を要求するようなものである。

(4) 元来、観念類似は外観類似や称呼類似ほど重視される必要はないとされている。これは観念は称呼や外観ほど記憶の要素となる可能性が少いからである。そして観念類似が認められるのは多く物質名詞についてであつて、抽象名詞では例が少い。これは観念類似とは、学説、判例とも一致しているように観念が同一であることをいい、物質名詞においては同一事物に種々の名称がつけられ、且つ用いられていることが多いに対し、抽象名詞では、言葉が少しでも違えば意味するところも変り、近似しているとはいい得ても、同一観念とはいい得ないからである。本件においても、「ロマン」と「ロマンス」は仮りに多少近似した意味のものであるにしても、同一の観念とはいい得ないものである。

(5) 審決は、本願商標の「ロマン」は仏語の「ROMAN」(小説)と解せられる場合が多く、これは引用商標の「ロマンス」に該当する英語の「ROMANCE」(物語風の小説)と観念上相紛れる場合が少くないとするのであるが、「小説」という意味の「ROMAN」なる仏語は吾々日本人にとつて極めて難解な単語である。そして我国における日常生活で「小説」という意味で「ロマン」という言葉が使われることは全くないといつてよい。これに比べれば、寧ろ、「ローマの」「ローマ人」という意味の「ROMAN」なる英語の方が理解し易く、この意味では日常生活でも時折使用されていることが現実に見聞される。しかし何といつても我国では、「ロマン主義」という言葉は外来ではあるが、他に換言することが不可能なほどに普及せられ、日本語化されている。従つて我国で「ロマン」の語が使用せられるときは、この「ロマン主義」の冒頭部だけをとつたものと見て、形式的なもの或いは現実的なものから離れた、何か幻想的、非現実的な観念を認識するものであつて、これは「ロマンの香り」とか、「ロマン化粧」(映画題名)等として「ロマン」の語が実際に使用せられていることから見ても明らかである。然るに一方「ロマンス」の方は、英語の「ROMANCE」に相当するものであるが、この方は完全に日本語化されており、日常会話においても屡々用いられる。そしてこの「ロマンス」なる語の使用によつて伝達される観念は「恋愛事件」ないしは「恋物語」の意味においてのものであつて、それ以外の観念に、この言葉が使われることは全くないといつてよい。英和辞典には或いは訳語として「小説」の記載があるとしても、外来語から成る商標の観念は、必ずしも辞書の記載の通り、原語の有するあらゆる意味に亘るものではなく、直観によつて生ずるものに止まるのであり、その直観観念は必ずしも辞書の記載と一致するとは限らないのである。本件における引用の登録商標の「ロマンス」においても、辞書の記載の如何に拘らず、現実における一般日本人の感覚では、これを前記のように「恋愛事件」「恋物語」の意味だけを受取り、観念しているものである。

右に述べたところは、取引の実際においてもそのまま通用するのであつて、「ロマン」の文字からなる商標を観察するとき、取引者はこの商標から「何か非現実的なもの、幻想的に美しいもの」というような漠然とした観念を認識して満足し、原語の意味を辞書を播いてまで追求しようとはしないいし(商取引上そのような必要は全くない)、一方「ロマンス」の文字からなる商標を観察するときは、「恋愛事件」「恋物語」の意味と理解するだけで満足するのである。

従つて、社会通念からいつても、取引の実際からいつても、本件の両商標が観念の上から相紛らわしいということは全くないのであつて、辞書の記載から見れば共通点があるというだけの根拠で、両商標を観念類似のものであるとする被告の主張は全く不当である。なお、ロマン「ROMAN」の用例は英語としてよりもむしろ仏語としての場合の方が多いことは当庁においても顕著な事実であるとした審決の判断は何らの裏付もない全くの独断というべきである。

(四)  「記憶」の問題としての商標の類否

(1) 商標の類否を外観、称呼、観念の三つの観点に分けて観察した場合に観察が主観的且つ観念的になり、更に外観、称呼、観念の三要素に等価を与えて判断する結果、客観的な妥当性及び具体的な妥当性を欠き、取引の実際上相紛らわしいかどうか、即ち、いわゆる「混同的類似」かどうかが正しく判断され得ない虞れがあることは既に言及した通りである。そこでここでは、外観、称呼、観念ということに拘泥することなく、具体的にどのようにして商標が認識され、どのようにして相紛れたり、或いは区別され得たりするのかの問題を心理学上の「記憶」の問題と関係して取扱い、この観点から本願商標が引用の登録商標と類似であるかどうかについて述べる。

(2) 或る商標が他の商標と類似する或いは類似しないという場合、そこには、最初何らかの形で一方の商標を経験し、或る時間経過があつた後に、また何らかの形で他方の商標を経験して、それらが同一であるかどうかの判断がある訳である。そして、類似かどうかは記憶上錯覚の可能性があるかどうかが主な問題となる。

(3) 心理学上「記憶」は、客観的には、(イ)最初の経験、即ち記銘(impression)と、(ロ)中間の時間経過、即ち把持(retention)と、(ハ)後の経験、即ち再生(reproduction)と、(ニ)後の経験が最初の経験と或る程度に同一視されること、即ち再認識(recognition)の四作用を含んだ時間的過程であり、主観的には、再生が中心となる想起(remembering)の現象とされている。そこで、二つの商標が類似するかどうかは、商取引の実際において商標がどのようにして記銘され、その記銘がどのように把持され、どのように再生され、最後にどのように再認識されるかによつて判断することができる。以下には本願商標及び引用商標がその指定商品の取引の実際上、どのようにして記銘され、把持され、再認識され、即ちどのように(心理学的な意味において)記憶され、その結果、果してそれらが互に相紛らわしいかどうかについて述べる。

(4) 「記憶」上最初の経験としての商標の記銘は、宣伝、広告或いはその商標のついた商品の購入によつて与えられる。本願商標「ロマン」がどのように記銘されるかを考えると、片仮名三文字で簡単である、語呂がよい、連想する意味が商品との関係において好ましいという特徴が取引者、需要者の通常平均人において印象強く観察される。心理学的に観察しても、記憶材料が短かくて簡単であることは当然記憶を容易にし、語呂がよい、連想する意味が好ましいということは組織化を容易にし、記銘を強めるとともに、観察者の興味(高品、優雅なものを求める)と合致するから記銘され易いものである。語呂がよいという内容は、構成音及びその序列が発声並びに聴取に便であることと共に、アクセントの所在が重要な要素となつている。本願商標「ロマン」では屡々述べたように、冒頭の「ロ」音が強音に発声されるものであるが、これを中間の「マ」音が強音に発声せられねばならないとすると、称呼実験をすれば容易に判るように、非常に発声しにくくなる。そしてこのような発音をした場合には決して語呂がよいとはいえない。そして「ロマン」という語からは端的に日本語で表現することは困難にしても、甘美で幻想的な気分を連想させるものであるが、右のような無理なアクセント方法をとると、この甘美で幻想的な気分が壊れて、もはや連想観念ではなくなつてしまう。本願商標「ロマン」では、アクセント部位が「記銘」上最も重要な要素の一つとなつているものである。

(5) 一方、引用の登録商標「ロマンス」もまた記憶が容易な語であるが、記銘される印象は全く違つている。即ち「ロマンス」では、片仮名四文字をもつての構成、被告も認めるように第二節の「マン」の音が強音に発声されることを特徴とする発音方法の特異性、「ロマンス」なる語のもつ「恋愛事件」なる意味による論理的記憶可能性が記銘上強く作用するものである。記憶者たる取引者、需要者の持つ興味との合致性も違つている。即ち、「ロマンス」では記憶者の恋愛本能を刺戟し、場合によつては、例えば、商品が下着類或いは寝衣のような場合はエロテイシズムさえ感じられる。

(6) 記銘についで、次の経験までの間に中間の時間経過がある。この把持の過程のあることが、商標の類否の判断に離隔的観察を要求するものである。「記憶」の問題として商標の類否を考察すれば、当然把持が問題となり、殊更離隔的観察のことを問題にする必要はない。次の想起の過程で当然に判断されるからである。

(7) 二つの商標が類似するかどうか、即ち、相紛らわしいかどうかの現象が現われるのは想起の過程である。想起は記憶体験の中心であり、再生と再認識という二面をもつている。把持は再生によつて証明され、再生は再認識によつて記憶として確認される。そして、再認識には二つの場合がある。一つは、客観的に同じ対象を二度与えられて、前にあつたと認識する場合であり、今一つは再生したことを過去の経験と結びつける場合である。商標の類否の問題としては、第二回目に経験した商標が、先に経験した商標と同一視される場合が類似する場合であり、異つた経験(新しい経験)であると認識れさる場合が非類似の場合である。つまり、第二回目の経験とそれによつて刺戟されて再生された記憶とが同一視される場合が類似であり、そうでない場合が非類似である。第二回目の経験は商品を購入するに当つて商標を観察する時に現われる。本件についていえば、予め広告、宣伝或いは直接商品の購入によつて「ロマン」なる商標の存在を経験した取引者、需要者が次に商品を買求める際、その商品に使用されている商標が「ロマンス」である場合、及びこれが逆である場合に、取引者、需要者が前に経験した商標であると認識する場合が類似している場合であり、そうでない場合は非類似である。

(8) さて、本願商標「ロマン」と引用の登録商標「ロマンス」は、記憶において記銘されるところ及び記銘を強める要素が全く違つている。記銘を強める要素は、結局記憶のよりどころとなるものである。記憶のよりどころは、再生の鍵であつて、再生はこの記憶のよりどころとなつているところに導かれて想い起させるものである。記憶のよりどころが類似の感覚ないしは知感であれば、記憶に錯覚を生ずる場合がある。しかし、本願商標と引用の登録商標とでは、それぞれの記憶のよりどころは、前記したように全く違つた感覚ないしは知覚であつて、一般平均人において記憶上錯覚を生ずるおそれはない。従つて再生される場合にも、「ロマン」が「ロマンス」となつて、或いは、「ロマンス」が「ロマン」となつて再生されることは全くない。「ロマン」という商標を前もつて経験していて、今「ロマンス」という商標の商品を見ても、先の「ロマン」なる商標の記憶が同一視され得るものとしてのみ返つて来る可能性は全くない。この逆の場合もそうである。記憶の再生がなければ再認識の問題は起らないし、たとえ再生があつたとしても、知覚の差異が弁別(discrimination)を可能にする。結局、両商標は記憶上錯覚を生ずるおそれは全くないものである。そして、本願の商標が使用される商品は、前記のように、必ず、現物を実際に験して取引が行なわれるものであるから、記憶上の錯覚がなくても現象上なお混同を生ずるおそれがあるということも全くない。従つて、本願の商標はその指定商品に関し引用の登録商標と非類似である。

(五)  商標の類否は客観的に判断すべきであるという点について

(1) 商標の類否の判定は、自分自身に関する限り、誰にでも判断できる問題である。しかしながら、その商品の取引者、需要者中の通常平均人が、どのように考えるかを個人の主観で正確に判断することは非常に困難な問題である。商標の類否を外観、称呼、観念の三者に分けて観察するのは、現象形態を通じて商標の類否を判断しようとするもので、いわゆる、「取引の実情を考慮して」客観的妥当性を与えるように努めても、判断者の主観に左右されがちなものである。これに対し、右に述べた「記憶」の問題として心理学的に商標の類否を考察する方法は通常平均人がどのように判断するかを合理的に判断する方法として最も妥当なものであり、類否判定上、この観点からの考察は不可欠のものと考える。

(2) 次に、本訴において証言した各証人の証言からも十分推察できるように、実際の取引者、需要者は、本願商標「ロマン」と引用登録商標「ロマンス」の非類似性に確信を持つている。抽象的な観念ではなく、国民の間に生きた確信として存在するところのものは、法の解釈適用に当つてこれを十分に尊重しなければならない。

(3) 原告が甲第五号証ないし第一九号証をあげて、本願商標の指定商品と同様の取引態様をもつ繊維関係の商品について、「ロマン」又は「ROMAN」の文字を要部とする商標と、「ロマンス」又は「ROMANCE」の文字を要部とする商標が、審査上非類似として取扱われていることを主張したのに対し、被告は乙第四ないし第六号証をあげて、またこの両者が類似なものとして取扱われている実例があるという。しかし、被告のあげたものは、それぞれ、旧第四〇類(氷及清涼飲料類)、第四一類(醤油、「ソース」及酢ノ類)及び第四六類(獣乳、其ノ製品及其ノ模造品)に属する商品に関するもので、これらの商品のいずれも商品名と商標を指定すれば商品が特定し、且つ口頭のみをもつて取引されることが多いもので、本件の商品とは全く取引態様を異にし、指定商品との関係を考慮する限り、何ら関連性のないものであつて、この被告の主張は本件に関しては全く理由のないものである。

(4) 本願商標の指定商品と親近な他の繊維関係商品については、右の通りに原告があげた甲第五号証ないし第一九号証の外にも、「ロマンス」なる文字からなる登録商標の存在にも拘らず、「ロマン」又は「ROMAN」の文字を要部とする商標が多数登録せられている。これは多数の審査官の判断が統一していることを示すものである。

(5) 更に、本願商標の指定商品と直接関係のない商品に関しても、「ロマン」又は「ROMAN」の文字からなる商標と「ロマンス」又は「ROMANCE」の文字からなる商標が非類似として同一又は類似の指定商品に多数登録せられている。これは、指定商品の特殊性を考慮するまでもなく、商標自体を観念的に比較しても非類似であると判断することに権威及び客観的な妥当性があることを示すものといえよう。

(六)  以上の通りであつて、本願商標と引用の登録商標とは非類似である。或いは少くとも指定商品中或る商品(例えば、婦人用衣服)に関しては非類似の場合がある。然るにこれを類似とし、或いは指定商品中非類似の場合があるに拘わらず指定商品全般に亘つて類似とした本件審決は違法であつて、取消を免れないものである。

第三、答弁

被告は事実上の答弁として次の通り述べた。

一、原告主張の一及び二の事実はこれを認めるが、三の主張はこれを争う。

二、商標の類否判定に関する一般的本質論についての原告の主張につき

およそ商標の同一又は類似ということは、その外観、称呼及び観念の三点から観察し、そのいずれかの点において同一又は類似であれば、これを同一又は類似であるということができるものであることは、特許庁のみならず、東京高等裁判所において幾多の審決例や判決例の存するところである。そして本件出願商標が引用の登録商標と称呼上類似し、観念を共通にする、いわゆる類似の商標であることは、以下に述べる通りであるから、これを類似のものと判断した本件審決には何等の違法もないものである。

三、(一) まず称呼の点につき

(1)  本願商標の「ロマン」及び引用の登録商標「ロマンス」はいずれも外国語から採択されたものであることはいうまでもないことであるが、現在の日常生活にあつてはこれらの文字は殆んど日本語化されて使用せられているところであることは、殊更立証を要せずして明らかなところである。そこで原告の主張における外国語に対するアクセント部位は、それらの文字を外国語として使用するときには重要なことがらであるかも知れないが、これを商標として見る上においては迅速を尊重する商取引上のその称呼は、必ずしも正規の外国語のアクセント部位により称呼されるものであるとは断じ難いところであるし、且つ取引者、需要者にそれらの文字の正規のアクセントを称呼上に要求することは不可能なことであるといわなければならない。即ち取引の実際においては、当該商標を端的に称呼して取引がされるものであつて、必ずしもそのアクセント部位まで考慮して称呼するものでないことは吾人の屡々経験するところである。従つて当該商標の称呼形成に当り、正規のアクセント部位は、取引上商標の称呼上における類否基準となし得るものであるとする原告の主張は何ら確たる根拠を有するものではない。また本願商標「ロマン」と引用商標「ロマンス」とは、その語尾に「ス」の文字の有無の差はあるとしても、いま引用商標「ロマンス」の称呼について考えてみるのに、右「ス」音が強音で発声されるものであればまた格別であるが、そもそもこの場合の「ス」音は無声摩操音「S」と母音「U」との綴音で、しかも末尾音として短かく且つ弱く発声される関係上、第二、第三音即ち「マン」の強音に影響されて聴者をして極めて微音にしか聴取せしめ得ないものであること、審決の説示する通りである。従つて本願のものと引用のものとにおいて、そのアクセント部位に多少の相違があるとしても、その差異は語学上でこそ重要であろうが、本件の場合のような商標の称呼類否の判断に際しては、これはそれほど貴重な資料とすることはできないものであるとともに、右「ス」音の有無の点も微差というべきであつて、これらの相違点をもつてしては、両者の称呼を明確に区別することは到底不可能であるといわざるを得ない。殊に電話、口頭等による取引においては、なお彼此混淆のおそれが多いといわなければならないから、結局両者は称呼上において類似する商標であると判断せざるを得ない。

(2)  原告は、本件商標の指定商品は電話、口頭等による取引は皆無であるから、本願商標が引用商標と電話、口頭等から生じる称呼混淆のおそれはないと主張する。しかし、かような主張はまことに不可解な極みで詭弁も甚だしいものである。即ち、本願商標の指定商品は旧類別第三六類被服、手巾、釦紐及び装身用ピンの類であつて、これらの商品は吾人の日常生活に密接な関係を有し、その消耗度も極めて高いものであるから、自然多数の取引も行われるものであること自明の理である。さすれば、電話若くは口頭による取引のされ得ることは当然であつて、原告主張のような、電話や口頭による取引は皆無であるというようなことは到底信じ得ないところであるばかりでなく、更に原告は本願商標の指定商標は個々の商品を手にして確認した上で取引せられるものであるかのように主張するが、このような取引をするものであれば、敢て商標はなくもがなのことである。また仮りにさような取引がされたとしても、取引の態様によつて当該商標の称呼上の類否に影響を及ぼすものではないこと明らかなところであるから、この点においても原告の主張は排斥を免れない。

なお、原告は商標の類否判断は絶えずこれを使用する商品を考慮して、その商品の如何によつて商標の類否を決定すべきであるかの趣旨の主張をするが、この原告の主張は全く失当である。何となれば、商標の類否判断、即ち称呼、外観、観念が類似するか否かは、当該商標のみにつきこれを判断すればこと足りるわけであつて、それらの指定商品によつて、その商標の称呼、外観、観念が生じて来るものでもなく、またその類似性が左右されるものでないことは自明な理であるからであり、この意味において、商標の類否が指定商品によつて影響されるものであるとする原告の主張はこれを全面的に否定する。

また原告は、本件審決は、本願商標及び引用商標の指定商品を考慮することなく旧商標法第二条第一項九号を適用して、右両商標の類否を判断したかの如く主張するが、この原告の主張もまた全く諒解に苦しむところである。即ち、右法条の適用は、商標の類否のみをもつてはこれをすることができないものであること、従つてこれを適用する限りにおいては、その指定商品についても判断をしなければならないことは明文の規定するところであり、本件審決においてもこれを考慮の上で判断しているものであること固より当然であるからである。

(3)  なお試みに本願商標「ロマン」と引用商標「ロマンス」との取引の実際につき考慮すると、例えば、商品「シヤツ」につき、その商標を「ロマン」シヤツ、「ロマンス」シヤツと使用した場合における両者の称呼上の類否を検討すれば、両者が如何に相紛らわしい称呼を生じるものであるかは多言を要しないところであろう。これ即ちアクセント部位如何に拘らず本願商標と引用商標が称呼上において近似する結果に外ならないからである。

(二) 観念の点につき

本願商標の「ロマン」は英語の「ROMAN」に通じるとともに、仏語の「ROMAN」にも通じるものであることは審決においても説示したところであるが、原告のいわゆる「ロマン」は「ロマン主義」の「ロマン」であるとしなければならない理由は豪も存しないところであるし、また本願商標は「ロマン」であつて、商標としては「ロマンチシズム」或いは「ロマン主義」と直接関連を持つものでないから、若し原語にあてはめるとすれば、英国の「ROMAN」か、仏語の「ROMAN」とする外はないところである。そこで英語の「ROMAN」とするにおいては、いわゆる顕著性の問題もからむかも知れないし、また採択動機を推察するなら英語より寧ろ仏語とする方が穏当と認められるところであり、後世ロマン主義が唱えられるようになつたのも、仏語の意味するロマンに因果関係をもつものであることは文学史上著明なことである。そこで本願商標「ロマン」を仏語に相当するものとすれば、この「ロマン」が「小説」の意味を有すること乙第一号証(模範仏和大辞典)の記載に徴しても明らかなところであり、また引用商標の「ロマンス」は英語における「ROMANCE」の文字を片仮名書にしたものであることは明らかであつて、この「ロマンス」の文字は、原告主張のように恋愛事件ないしは恋物語の意味をもつものとしても、英語としてはこの外に「稗史」「小説」等の意味もまたこれを持つものであること乙第二号証(英和大辞典)から見ても明らかであるから、両者はともにその観念を同一にする場合があり、この点でも両者類似の商標であるといわざるを得ない。

なお「ロマン」と「ロマンス」が観念を同一にするものであることは、原告提出の甲第三五号証の七の記載に徴しても極めて明白なところというべきである。

(三) 商標類否の判断は客観的でなければならないとの点につき

本願商標「ロマン」と引用商標「ロマンス」とが、いわゆる類似であるとの判断が担当審査官審判官の主張だけでされたものではなく、寧ろ原告主張のような一般常識に基いてされたものであることは、乙第四ないし第六号証各証に示すものが、いずれも連合商標として登録せられている事実に徴しても明らかなところというべきである。原告は甲第五ないし第一九号各証を提出して「ロマン」と「ロマンス」が特許庁においても非類似のものとして取扱われた例が多数に存する旨を主張するが、右の内には本件と事案を異にするものもあり、また一応本件のものと多少の関連性を認められるものも、繊維一次製品についての一部の審査例にすぎず、この事例をもつて必ず他の事案についても同様の判断をしなければならないものではない。

(四) 結局本願商標と引用登録商標とは、称呼上及び観念上において取引上彼此混淆のおそれが十分であり、且つ両者の指定商品も互いに牴触するものであるから、本願商標は旧商標法第二条第一項第九号に該当する拒絶理由が存するものであり、その登録はこれを拒否するのが相当なものであるから、右同趣旨の本件審決には何らの違法もなく、その取消を求める原告の本訴請求は失当である。

第四、証拠関係≪省略≫

理由

一、特許庁における手続及び審決要旨に関する原告主張の一及び二の事実は当事者間に争いがない。

二、右当事間に争いのない事実に成立に争いのない甲一号証及び第三号証の一、二を総合すれば次の事実が認められる。

(一)  原告の本件出願商標は昭和三〇年九月二〇日にその登録出願がせられたもので、別紙記載のように「ロマン」の片仮名文字をゴジツク体で左横書してなるものであり、旧類別第三六類被服、手巾、釦紐及び装身用ピン類をその指定商品とするものであり、

(二)  他方特許庁が原告の右登録出願を拒絶するために引用した登録第三〇二、三三三号商標は、訴外西川吉太郎から昭和一二年六月二六日にその登録出願がせられ、昭和一三年五月一七日に登録せられたもので、右商標権はその後昭和三三年一月二五日に訴外西川産業株式会社に譲渡せられ(その登録の日は同年二月一〇日)、同年七月二一日にその存続期間の更新登録がせられているものであつて、同じく別紙記載のように「ロマンス」の片仮名文字を普通の書体で縦書してなるものであり、旧類別第三六類衣服その他本類に属する商品をその指定商品とするものである。

三、そこで本願商標と引用の登録商標との類否について検討する。

(一)  右両商標がその外観において相違があり、相類似するものでないことは、弁論の全趣旨から見て当事者間に争いのないところと認められるとともに、右認定事実からも十分これを窺うことができる。

(二)  そこで本件で最も問題とせられている、両者の称呼上の類否について考察しなければならない訳であるが、判断の都合上まず観念上の類否から検討してみることとする。

両者がともに外国語に由来するものであることは問題ないが、問題はこの両者がその指定商品である旧第三六類の商品の我が国における取引者、需要者に対しどんな感じ、どんな意味のものとして受取られるかである。そしてこのどんな感じ、どんな意味のものとして受取られるかは、この両外国語の、それが英語であれ、仏語であれ、その外国語としての本来の意義如何の問題ではなく、右指定商品についての我が取引界の実情から見て、これが現実に如何に受取られるかによつてこれを決するの外はないところであつて、右両者が外国語に由来するからといつて、その本来の外国語の意味とは必ずしも一致するを要するものではない。そこで右両者がわが国取引社会で現実にどんな意味で受取られ、どんな意味で使われているかについて考えてみるのに、本願商標の「ロマン」の方はまだそれほどではないが、引用商標の「ロマンス」の方は、本願商標の出願時、審決時は勿論、その相当の以前から既に殆んど日本語化されているものということができるものであり、この言葉の出所は勿論英語の「ROMANCE」から出たものと考えられるところであつて、この英語本来の意味では恋愛事件等の意味の外物語、小説等の意味を持つものであり、わが国においてもこの英語本来の意味においてこの語が用いられることが必ずしもないものとはいえないことではあるが、既に一般に日本語化したものとしては「恋愛事件」(loue affair)ないしは恋物語の意味において観念せられ、使用せられるのが最も普通と解せられるところであり、従つて本件の指定商品が被服その他服飾品であつて一般大衆を相手とするものであることを考えると、この指定商品の取引界一般としては、この「ロマンス」なる商標からは「恋愛事件」ないしは「恋物語」の観念を持つに至るものと見るのが相当である。これに対し本願商標の「ロマン」は、この語それ自体としては、現在においてもまだ日本語化したほどのものは認められないところであるが、この語に関係のあるものと認められる「ロマン主義」「ロマンチツク」の語は、既に相当の以前から我が国の一般社会に相当浸潤使用せられているものと解せられ、従つてこの「ロマン」の語からは我が国の一般社会においては、この「ロマン主義」ないしは「ロマンチツク」の冒頭の部分をとつたものとして、原告主張のように、何か幻想的、非現実的な観念を持つに至るものと解するのが相当であろう。

被告はこの「ロマン」の語からは仏語の「ROMAN」(小説)の観念が出るとするのが相当であると主張するが、我が国においては、まだ仏語は英語ほどに親まれていないのが実情であり、この実情からすれば、「ロマン」の語からはこの仏語からの意味よりも、英語に由来する前記「ロマン主義」「ロマンチツク」の語よりする意味を汲みとるものと解するのが相当と考えられ、右被告の主張はこれを採用し難いところである。なお被告は「ロマン」と「ロマンス」が観念を同一にするものであることの証拠として、原告提出の甲第三五号証の七の記載を援用する。そして右甲号証は原告会社がそのパンフレツト中で自己の商標「ロマン」の由来を説明した部分の文章であつて、その文章中には、「フランス語でロマンといえば小説や物語のことで、英語のロマンスに当る言葉です」との記載があり、この記載は皮肉にも本訴で正に被告が主張する通りのものである。そしてこの記載は、これに続く説明文等から見て、原告が自己の商標「ロマン」が如何にも古い由来をもち、如何に高尚なものであるかを説明せんとして、右のような記載となつたものと認められるところであるが、右程度の記載によつて、「ロマン」の意義についての現実取引界の認識が、右のようになるほどのものとは到底認め難いところであるから、右甲号証をもつてしても前記の判断を覆し、被告の主張を認めることは到底できないところである。

従つて本願商標の「ロマン」と引用商標の「ロマンス」とは、その観念において共通なものではなく、これを別異にするものと解しなければならない。

(三) ところで本件で最も重要な争点は、本件両商標の称呼上の類否の点である。そしてここでも注意を要するのは、この「ロマン」なり「ロマンス」なりの称呼が、本件指定商品の取引界において現実に如何に発音せられ、如何に称呼せられるかによつてその類否を判断すべきものであつて、その本来の外国語の発音如何とは必ずしも直接の関係はないとのことである。(原告は、片仮名文字よりなる単語は、古来からの日本語中に直接該当するものが見当らないときは、英語式に読まれて理解されるのを通常とする経験則があるように主張するが、果してかような経験則があるかどうか、必ずしも明らかとはいえないところではなかろうか)。そこで現実の問題として、我が国一般の取引界において、この両語が如何に発音せられ、如何に称呼せられているであろうかについて考えてみるのに、日本人一般の発音傾向からであろうが、「ロマン」にあつては、その冒頭の「ロ」が強音として発声され、「ロマンス」にあつては、第二音の「マ」が強音に発声せられるものであり、この両者間にあつては、後者には前者にない「ス」の音が更に末尾音として加えられている外に、右のような強音部位の差のあることが認められる。そして後者だけに存する「ス」の末尾音も、必ずしも被告主張のように短かく且つ弱く発声せられるものではなく、通常の場合は第三音の「ン」に続けてこの第三音よりも寧ろ末尾音の「ス」の方の割合がはつきり発音せられるものであることが認められる。従つて本件両商標にあつては、その称呼上において相当の差異のあることはこれを否定し得ないところといわなければならない。

ただ問題は簡易迅速を尊ぶ取引界の実情からして、右程度の差異をもつて、両商標を、その称呼の点において区別し得るものと判断できるかどうかである。しかしこの点については、やはり原告主張のように本件両商標の指定商品が旧類別第三六類の被服その他の服飾品であり、大体において手に取り、目で見てその取引をするものであり、問屋等における大口取引又は同じ商品の追加注文等の場合を除いては、電話、口頭だけによる取引の殆んどせられない性質のものであることを考えなければならない。従つてこのような指定商品を対象とする本件両商標にあつては、一般消費者について考える限り、電話、口頭等による取引の盛んに行われる商品を対象とする商標とは自ら異なるものがあり、また問屋等大口取引者にあつては、商標による指示その他の取引は、一般消費者の場合に比して、はるかに注意深くなされるものと考えられ、なお前記において判断したように、本願商標の「ロマン」と引用商標の「ロマンス」とはその観念上においても差異の存するものであつて、この観念上の差異もまた、その観念自体が相当特殊なものであるだけに、自然に称呼の点にも影響を及ぼすものと考えざるを得ないところであつて、これらの各事情を総合勘案すれば、本件におけるが如き指定商品を対象とする商標としては、如何に簡易迅速を尊ぶ取引界にあつても、前記程度の差異があれば、その称呼の点においても彼此混淆のおそれはないものと認めるのが相当である。

そして右の判断は、成立に争いのない甲第七ないし第九号証の各一、二、第一二ないし第一七号証の各一、二によつて認められる、毛糸、毛織物、木綿織物等について、「ロマン」及び「ロマンス」の各商標を別個に各別人口その登録を許している特許庁の取扱いからも、また右甲第一四ないし第一七号証の各一、二に証人<省略>の証言を総合して認めることのできる、同証人は「ロマンス」なる商標について絹織物、木綿織物、毛織物等を指定商品として登録第四三〇、〇四二号等数個の商標(連合商標)の登録を受けているものであるが、この「ロマンス」商標と原告会社の「ロマン」の商標とが業者においても、需要者間においても誤認混同せられたことはないとの事実からも、これを裏付け得るものと考えられる。

従つて本願商標の「ロマン」と引用商標の「ロマンス」とはその称呼においても非類似なものと解すべきであり、これを類似のものと判断した本件審決はこれを失当とする外はない。

四、被告は、本願商標の指定商品は吾人の日常生活に密接な関係があり、消耗度も極めて高いものであるから自然多数の取引の行われるものであり、従つて電話若くは口頭による取引のされ得ることは当然であるというが、消耗度が高く多数の取引が行われる性質のものであるからといつて、必ずしも電話又は口頭による取引が多いとも限らないことで、本件の商品にあつては電話等による取引の少いことはその商品の種類、性質等から来るところであり、また電話、口頭によるもののあり得ると考えられる問屋等の取引については先きに判断したところであつて、右被告の主張によつては前記の判断を覆すわけにはゆかない。

また被告は乙第四ないし第六号証を提出し、「ロマン」と「ロマンス」の商標が連合商標として登録せられていることから、右商標が特許庁の取扱いにおいても類似のものとして取引われていると主張する。しかし右乙各号証のものは、本件商標の指定商品である服飾品とはその指定商品を異にし、ソーダ水(旧第四〇類)、醤油(旧第四一類)、牛乳(旧第四六類)等に関するものであつて、電話、口頭等による取引の割合に頻繁な商品を対象とするものであるから、これを本件と同日に論ずることはできないことである。

五、以上の通りであつて、本願商標と引用商標とをもつて、称呼及び観念の上において、類似なものと判断して、本願商標の登録を拒否するのを相当とした本件審決は、爾余の争点についての判断をするまでもなく失当であつて、その取消を求める原告の本訴請求は正当である。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。(裁判長裁判官原増司 裁判官山下朝一 大沢博)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例